ケニアでは、銀行より先に携帯電話が生活に入り込んでいた。2006年のFinAccess調査では、携帯電話へのアクセスは54.4%。一方、formal financial access(銀行などの正式な金融サービスへのアクセス)は26.7%だった。
ところが中国はまったく違う。Weixin Payが登場した2013年末、中国にはすでに42.14億枚のbank cardが発行され、763万を超える加盟店と1,063万台を超えるPOS端末がカード決済networkにつながっていた。
どちらも「カードを飛び越えてモバイル決済へ進んだ国」と説明されることがある。だが、出発点はかなり違う。
では、中国とケニアは何を飛び越え、何を利用したのか。
本稿の結論を先に言えば、両国が飛び越えたのはカードという支払手段そのものというより、カード加盟店網を先に全国へ広げ、その後デジタル化するという普及順序だったと考える方が正確だ。
新しい決済networkは、何もないところから生まれたわけではない。ケニアは携帯電話網とagent networkを、中国は銀行口座・カードとe-commerce、既存の人間関係networkを再利用した。いわば、別の「既存基盤(installed base)」を使って、決済network立ち上げ時の難題を解いたのである。
図1|中国とケニアは何を再利用したのか
| Kenya / M-PESA | China / Alipay・Weixin Pay | |
|---|---|---|
| 出発点 | formal financeのreachが相対的に薄い | bank/card基盤はすでに巨大 |
| 再利用した既存基盤 | mobile access、telecom distribution、agent network | bank/card funding、e-commerce、social graph |
| 最初の強い用途 | P2P remittance「Send Money Home」 | e-commerce trust、Red Packet |
| cash / funding bridge | agentによるcash-in / cash-out | bank account / card linking |
| 加盟店への展開 | P2P scale形成後に拡大 | QRで導入コストを低減 |
注:Kenyaの54.4% mobile accessとChinaの42.14億枚bank cardsなどは、同じ分母・単位の規模比較ではなく、両国の出発点を示すnumeric anchorとして扱う。
ケニアでは、銀行より先に携帯電話が広がっていた
M-PESAが正式に始まったのは2007年3月6日である。
その前年のケニアでは、formal financeのreachはまだ限られていた。一方、携帯電話はそれより広く人々の生活へ入り込んでいた。FinAccess 2006では、自分の携帯電話を持つ人が26.9%、他人の携帯電話を利用できる人が27.5%で、合わせて54.4%がmobile accessを持っていた。
もう一つ興味深い数字がある。20.6%が「Sambaza」と呼ばれる機能を使い、airtime creditを他人へ送っていた。
ここはM-PESAの歴史を理解するうえで重要だが、混同してはいけない。
M-PESAを「携帯電話の通話時間をそのままお金として送る仕組み」と説明するのは正確ではない。Sambazaは、携帯電話上で価値を他人へ移すという行動上の前史だった。一方、M-PESAそのものは、agentを通じて現金を電子価値へ変え、送金し、受取人が再び現金へ換えられるe-moneyである。
つまりM-PESAは、「携帯電話で価値を動かす」という行動をゼロから発明したわけではない。すでに存在していた携帯利用、telecom distribution、airtime販売網、cashという基盤を、金融サービスへ組み替えたのである。
最初の起点は「店で払う」ではなく「家へ送る」だった
M-PESAの初期の価値は、店頭決済ではなくP2P remittanceだった。
Safaricomの公式沿革では、正式開始から1か月後のactive usersは19,671。2007年11月には1,041,522まで増え、サービス開始からおよそ1年で利用者は200万人を超えた。
初期のメッセージとして知られるのが「Send Money Home」である。
都市部で働く人が家族へお金を送り、受け取った側が近くのagentで現金化できる。これなら、サービス開始時点で全国の小売店へM-PESA acceptanceを設置する必要はない。
決済networkは、payerとpayeeの両方が集まらないと価値が生まれにくい。M-PESAは、まずsenderとreceiverの明確な送金需要をつなぎ、その外側にagent networkを置いた。
agentは単なる販売店ではない。cashとe-moneyをつなぐ接点として機能した。
Safaricomの資料では、M-PESA agentは2008年9月の4,230から、2009年9月には13,326へ増えている。P2P送金が先にnetwork valueを作り、agent密度が上がることでe-moneyの実用性も高まる。merchant paymentは、その後に広がった。
つまりM-PESAは、加盟店を先に全国展開してから消費者を集めたのではない。「家へ送る」という強い起点となる用途を先に作り、そこから受入networkを広げたのである。
中国は「カードがなかった国」ではない
中国のmobile paymentには、別の誤解がある。
QRコード決済が急速に普及したため、「中国にはカード決済基盤が十分になく、現金から一気にスマホへ飛んだ」と説明されることがある。
しかしPBOCの統計を見ると、この説明は成り立ちにくい。
2013年末、中国には42.14億枚のbank cardがあり、763.47万のconnected merchants、1,063.21万台のconnected POS terminals、52万台のATMが存在していた。
もちろん、発行カード枚数はunique cardholdersの人数ではない。それでも、Weixin Payの登場前から銀行・カードの資金供給・受入基盤が相当な規模に達していたことは明らかである。
中国で起きた変化は、bank/card railを丸ごと捨てることではなかった。
むしろ、既存の銀行口座やカードを資金源として残し、その上に別のconsumer interfaceとdistribution networkを重ねたと考える方がよい。
Alipayはe-commerceを、Weixin Payは人間関係networkを使った
Alipayの出発点には、Alibaba / Taobaoのe-commerce ecosystemがあった。
オンライン取引では、見知らぬ売り手と買い手の間で「支払ったのに商品が届かない」「送ったのに代金が払われない」というtrust problemが生まれる。Alipayはこのcommerce relationshipの中にpaymentを埋め込んだ。
一方、Tencentは別の既存基盤を持っていた。QQ、そしてWeixin / WeChatという巨大なsocial graphである。
Weixin Payは2013年8月に始まり、2014年1月にはWeixin Red Packetが登場した。Tencentのcorporate historyによれば、2014年の旧正月大晦日には約2,000万個のRed Packetがやり取りされた。2014年末にはMobile QQ WalletとWeixin Paymentを合わせたbank-card-linked accountsが1億を超えていた。
Red Packetの意味は、単に「送金機能が面白かった」ということではない。
中国に昔からある紅包という社会習慣を、すでに人間関係が形成されているplatformの中へ持ち込んだことで、payment onboardingを日常的な行動へ変えたのである。
Tencent自身も、payment scenarioの拡大やRed Packet giftingがpayment awarenessとhabitの形成に寄与したと説明している。
ただし、「Red PacketだけでWeChat Payが普及した」と結論づけることはできない。bank-card linking、巨大なsocial graph、merchant acceptance、規制環境などが同時に動いているためだ。
重要なのは、新しい決済アプリがゼロから人を集めたのではなく、すでに毎日使われていたplatformへ決済を組み込んだ点である。
QRコードが解いたのは、需要より加盟店側の導入コストだった
中国のmobile paymentを語るとき、QRコードは象徴的だ。
しかし、QRコードだけでnetwork effectが生まれたわけではない。
consumer側ではすでにAlipayやWeixin Payを使う理由が形成され、bank accountやcardとの接続もあった。そこでmerchant側に残る課題は、どう低コストでacceptanceを広げるかだった。
専用端末を必ずしも必要としないprinted QRは、加盟店が新しい決済を受け入れる際の追加コストを下げられる。
この意味でQRは、需要を生み出した発明というより、すでに形成されたwallet需要を店頭へ展開するための低コストな移行手段と考える方が分かりやすい。
決済技術の普及では、consumer側の便利さだけでなく、merchant側が「いくらで、どれだけ簡単に、新しい決済を受け入れられるか」が重要になる。
中国ではplatform networkとbank funding railがconsumer側を支え、QRがmerchant側のchange costを下げた。この組み合わせが、card-centric acceptanceとは異なる成長経路を可能にした。
2007年の送金サービスは、2026年には巨大な金融distribution railになった
M-PESAの現在を見ると、この変化がどこまで進んだかが分かる。
Safaricom FY26 Results Bookletのcurrent comparative seriesでは、M-PESAのtransaction valueはFY22のKSh30.18 trillionからFY26にはKSh41.68 trillionへ増えた。
さらに目立つのがtransaction volumeである。FY22の15.75 billion transactionsから、FY26には46.41 billionまで増えた。FY22からFY26までの年平均成長率を計算すると、valueは約8.4%、volumeは約31.0%となる。
図2|M-PESAの取引金額と取引件数(FY22–FY26)
出典:Safaricom FY26 Results Bookletのsame-edition current comparative series。過年度のas-reported値は混在させない。FY22→FY26の年平均成長率はvalue約8.4%、volume約31.0%(Otakuwallet計算)。
この時系列には注意点がある。Safaricomは過年度数字をrestatementしており、FY25 Results BookletではFY24のtransaction numbersについて、operational / backend non-chargeable transactionsを除外したと説明している。
そのため本稿では、異なる年度に公表された数字を継ぎ合わせず、FY26 Results Bookletに掲載された同一版のFY22–FY26 current seriesだけを使う。
FY26時点で、M-PESAのone-month active customersは40.99 million、agentsは333,011、merchant baseは3.13 million。M-PESA revenueはKSh182.74 billionで、Safaricom Kenya service revenueの45.6%を占める。
さらにサービスはconsumer / business paymentsだけでなく、credit、savings / wealth、cross-border、investmentへ広がっている。
2007年の「Send Money Home」は、もはや単なる送金サービスではない。payment railが、金融商品を配るdistribution railへ発展したのである。
network effectに成功すると、次は相互運用性が課題になる
network effectには別の側面もある。
国内の利用者と加盟店が特定platformへ集中すれば、そのnetworkの内側では非常に便利になる。しかし、networkの外側にいる利用者にとっては、同じ最適化がfrictionになることがある。
中国では、AlipayとWeixin Payを中心としたapp-centricな決済環境が国内で高い利便性を持つ一方、外国人旅行者にはcard linkingやapp setupが障壁になる場面があった。
その後、中国政府やPBOCは海外発行カードをAlipay / WeChatへ紐付ける仕組みや利用上限を拡大した。Taobao / TmallでもWeChat Payの受入が進み、海外walletから中国本土のQR acceptanceへ接続する動きも広がっている。
これは「中国のmobile paymentが失敗した」という話ではない。むしろ逆である。
国内network effectを作ることに成功したからこそ、次の課題がplatform間・国境間の相互運用性へ移ったと見ることができる。
e-CNYも、この文脈では興味深い。国家が後押しする新しいdigital moneyであっても、すでに巨大な既存基盤を持つpayment networkとの関係を無視することはできない。
なぜM-PESAをそのまま海外へコピーできなかったのか
M-PESAの成功を見れば、「銀行利用の薄い国へ同じ仕組みを持っていけば成功する」と考えたくなる。
しかし実際には、それほど単純ではなかった。
South Africaでは、Vodacomが2016年にM-Pesaを終了した際、sustainabilityにはcritical massが必要であり、同国のhigh levels of financial inclusionを踏まえると、当時の形ではそのcritical massに届く見込みが低いと説明している。
一方、Romaniaはcash-heavyでunbanked層も大きい市場として始まったが、M-Pesaは2017年に終了した。これだけでも、「cash-heavy」「unbanked」であることは成功の十分条件ではないことが分かる。
Indiaはさらに事情が違う。Vodafone Ideaは2019年、PPI licenseの返上とPPI / Business Correspondence事業の終了を公表し、関連するpayments-bank businessもwind-downされた。ここではregulation、licensing、mergerやcorporate structureが重要で、consumerが単純にcardを選んだ事例としては扱えない。
三つの市場を一つの「失敗理由」でまとめるより、別の結論の方が重要だ。
payment modelは、そのまま輸出できる完成品ではない。
Kenyaで機能した既存基盤、起点用途、agent economics、regulatory pathを別の国へそのまま持っていくことはできない。現地のnetwork structureに合わせて、立ち上げ時の難題をもう一度解き直す必要がある。
中国とケニアは、同じ道を進んだわけではない
ここまでを整理すると、中国とケニアには明確な違いがある。
Kenyaではformal financeが相対的に薄いところへtelecom networkが入った。Chinaではbank/card infrastructureがすでに巨大なところへplatform networkが重なった。
Kenyaのearly anchorはP2P remittanceだった。Chinaではe-commerce trustやRed Packetのようなplatform内の高頻度行動が利用の入口になった。
Kenyaではagentがcashとe-moneyの橋になった。Chinaではbank accountやcardがwalletの資金供給の橋になった。
つまり、二つの国は同じ条件で「カードを飛び越えた」のではない。
図3|中国とケニアのモバイル決済普及経路の比較
| 観点 | Kenya / M-PESA | China / Alipay・Weixin Pay |
|---|---|---|
| Starting condition | formal finance relatively thin | bank/card estate already large |
| Installed base reused | telecom + SIM + agent distribution | bank funding + e-commerce/social graph |
| Anchor use | P2P remittance | e-commerce trust / Red Packet |
| Funding / cash bridge | agent cash-in/out | linked bank accounts/cards |
| Merchant migration | merchant payments expanded after P2P scale | QR lowered hardware burden |
| Main orchestrator | Safaricom | Alibaba / Tencent |
| Later-stage friction | portability / local market fit | interoperability / inbound friction |
| 2026 evolution | financial distribution rail | service ecosystem / cross-border interoperability |
注:これはrankingではなく、異なる普及経路を比較するmatrixである。
共通していたのは、既存の決済インフラが存在しなかったことではなく、別の既存networkを使ってpayerとpayeeの立ち上げ問題を先に解けたことである。
この視点に立つと、決済技術の普及を「どの技術が最も優れていたか」だけで説明することが難しい理由も見えてくる。
重要なのは、すでに何が存在しているのか。誰が利用者を束ねているのか。最初にどんな用途なら強いnetwork valueを作れるのか。加盟店がいくらで受入を始められるのか。そして、既存のcash、bank account、card、platformとどのように共存しながら移行できるのか。
決済のleapfroggingは、ゼロから起きる魔法ではない。
別の既存基盤を見つけ、それを決済へ組み替えることから始まる。
主な出典
Kenya / M-PESA
- Central Bank of Kenya, FinAccess 2006 Household Survey Key Results
- Central Bank of Kenya, 2019 FinAccess Household Survey
- Safaricom, The M-PESA Wonder: How it all begun
- Safaricom PLC, FY26 Results Booklet
- Safaricom PLC, FY25 Results Booklet
- World Bank, The Little Data Book on Financial Inclusion 2025
China
- People’s Bank of China, 2013年支付体系运行总体情况
- People’s Bank of China / World Bank, Toward Universal Financial Inclusion in China
- Tencent, Our Story
- Tencent, 2014 Fourth Quarter and Annual Results
- State Council of the People’s Republic of China, payment guide for overseas visitors
- Reuters, Alibaba’s China e-commerce platforms to accept Tencent’s WeChat Pay (2024-09-04)
- Reuters, China strives to lure foreign tourists, but it’s a hard sell for some (2024-07-17)
海外展開
- Vodacom, Vodacom to discontinue M-Pesa in South Africa (2016-05-09)
- Vodafone, Vodafone M-Pesa comes to Europe for the first time
- Vodafone, Tax Report 2019/20
- Vodafone Idea / Aditya Birla, Q1 FY20 release
