最終確認:2026年9月25日
カード会社のシステムが障害で止まったら、クレジットカード決済はすべて止まるのでしょうか。実際のカードネットワークには、イシュアがリアルタイムで返答できないときに、ネットワーク側が一定のルールに基づいて承認・否認を返すStand-In Processing(STIP)という仕組みがあります。
これは単なる「障害時の予備システム」ではありません。1970年代の電子オーソリ黎明期から続く設計思想で、現在は深層学習を使って発行会社の判断に近づけるところまで進化しています。
通常のオーソリでは、誰が「通す・通さない」を決めるのか
通常のカード決済では、加盟店から送られた承認要求がアクワイアラやカードネットワークを経由してイシュアへ届きます。イシュアはカードの状態、利用可能枠・資金、リスク情報などを確認し、承認または否認を返します。
Visaの2026年4月18日版Rulesでは、Issuerに、適切に受け付け・処理・送信された各Transactionを評価してAuthorization等の判断を行うことを求めています。それでも、システム障害、通信障害、応答時間超過などによって、Issuerが通常どおり返答できないケースがあります。
そこでネットワークが「代わりに答える」
Visaの2026年4月18日版Rulesでは、STIPを、IssuerやそのProcessorが利用できない、Issuerの応答が規定時間を超える、またはIssuerがVisaへ代理処理を指示した場合に、Issuerに代わってAuthorizationを提供する仕組みと位置づけています。Smarter STIPもこの枠組みに含まれます。
図1 通常の承認とSTIP
通常:加盟店 → アクワイアラ → カードネットワーク → イシュア → 承認・否認
Issuerが応答できない場合:加盟店 → アクワイアラ → カードネットワーク → STIPが代理判断 → 承認・否認
従来型STIPでは、イシュアが設定したパラメータやルールなどを使って判断します。
MastercardのTransaction Processing Rules(2026年6月9日版)では、Mastercard Card ProgramsのIssuerにStand-In Processing Serviceの利用を求め、Stand-In ParametersをMastercardのデフォルト限度以上に設定すること、さらにSTIPで承認された取引についてIssuerが責任を負うことを定めています。なお、EEA・英国・Gibraltarなど、地域別ルールでこの一般則が修正される場合があります。
つまり「カードネットワークは単に承認要求を中継するだけ」ではありません。障害時には、ネットワークそのものが承認判断を担う場合があります。
この発想はBASE Iの時代から存在した
Stand-inの発想は最近生まれたものではありません。David L. StearnsのVisa史研究によると、1973年に稼働したBASE Iには、発行銀行のホストコンピュータや担当者が一定時間内に応答しない場合、中央システムが代わりに判断する仕組みが組み込まれていました。
当時はissuerが設定したルール、negative file、直近の口座活動などを使って承認可否を判断していました。電話承認からオンライン承認へ移行するだけでなく、「発行銀行につながらないときにもネットワークを止めない」ことまで設計対象になっていたのです。
オーソリが紙と電話からBASE Iへ移った歴史は、「昔のクレジットカードはどう承認していた?オーソリが生まれた理由とBASE Iの歴史」で詳しく解説しています。
日本語資料にも残る、IC移行期のSTIP
STIPという言葉は、日本語の公的研究資料にも登場します。日本銀行金融研究所『金融研究』2007年8月号の論文では、VisaのICカード移行工程の中で、Issuer側ホストがまだIC対応していない段階にSTIPを使い、カード発行機関に代わってICカードとの電文通信を行う例が説明されています。具体的には、Application Cryptogram(AC)の検証やARPC生成などが挙げられています。
これは2000年代のEMV移行を支えるSTIPの利用例であり、現在の障害時Authorizationを担うSmarter STIPと内部仕様が同じという意味ではありません。ただ、カードネットワークがIssuerを一時的に代行するという設計思想が、日本のIC化の過程でも使われていたことが分かります。なお、この論文の見解は著者によるもので、日本銀行の公式見解ではありません。
2020年、STIPは深層学習へ進んだ
Visaは2020年にSmarter Stand-in Processing(Smarter STIP)を発表しました。従来のSTIPが静的なルールを中心に判断していたのに対し、Smarter STIPはissuer自身の過去の取引判断を深層学習で分析し、カード会員レベルの購買行動も使って承認・否認を判断します。
Visaは、2019年第4四半期の全Visa BINを対象にしたオフラインシミュレーションで、issuerと同じ承認・否認判断を平均95%の精度で再現したと説明しています。また、2020年第1四半期の単一米国issuerを対象にした社内分析では、従来STIPと比べてdeclineを最大50%減らせる可能性があったとしています。
これらはVisaの内部テスト結果であり、すべてのissuer・すべての国・すべての障害で同じ結果になることを意味しません。
STIPがあれば、障害時も必ずカードが通るわけではない
STIPは可用性を高める仕組みですが、あらゆる取引を承認する仕組みではありません。イシュアやネットワークが設定するstand-in parameter、カード状態、取引属性、リスク情報などによっては否認されます。
Visaの公開Request and Response Codesには、コード91として「Issuer or switch inoperative and STIP not applicable or not available」のケースも記載されています。つまり、issuerが応答できず、かつstand-inが適用できない場合には、そのこと自体がdecline理由になります。
VisaとMastercardに共通する設計思想
VisaとMastercardでは具体的なパラメータや内部処理は同一ではありません。しかし、公開ルールを見る限り、両ネットワークともissuer unavailable時にネットワーク側が一定条件で承認・否認を代行するという設計思想を持っています。
これはカード決済の重要な特徴です。利用者には「数秒でOK/NGが返る」だけに見えますが、その数秒を維持するために、通常経路だけでなく障害時の代替判断まで多層に設計されています。
オーソリの歴史は「誰に聞くか」の歴史でもある
1960年代は加盟店が銀行へ電話していました。1973年のBASE Iは銀行間をコンピュータネットワークでつなぎました。そして現在は、銀行が返答できないときにネットワークが代わって判断し、その判断自体にもAIが使われています。
銀行へ電話する → ネットワークで銀行へ聞く → 銀行が答えられないときはネットワークが代行する。
STIPは、クレジットカードの「止まりにくさ」を支える、利用者からはほとんど見えない仕組みの一つです。
Featured photo: Albert Stoynov / Unsplash
主な出典
| 出典 | 公開日・版 | 用途 | 取得日 |
|---|---|---|---|
| Visa Core Rules and Visa Product and Service Rules | 2026年4月18日版 | STIPの現行定義、Smarter STIP、Authorization要件 | 2026年9月23日 |
| 日本銀行金融研究所『金融研究』2007年8月「リテール・バンキング・システムのICカード対応に関する現状とその課題」 | 2007年8月 | EMV/IC移行期におけるSTIP利用例 | 2026年9月23日 |
| Visa, Smarter STIP | 現行公開研究資料 | STIP発動条件、従来型STIP、深層学習モデル | 2026年9月22日 |
| Visa, Visa Harnesses Real-Time Deep Learning to Enhance Transaction Processing | 2020年8月26日 | Smarter STIP発表、内部テスト結果と適用範囲 | 2026年9月22日 |
| Mastercard, Transaction Processing Rules | 2026年6月9日版 | Stand-In Processing Serviceの利用要件、Issuer責任、Stand-In Parameters | 2026年9月24日 |
| Visa Developer, Request and Response Codes | 現行公開ページ | Issuer unavailable / STIP unavailable時のresponse code | 2026年9月22日 |
| David L. Stearns, “Think of it as Money”: A History of the VISA Payment System, 1970–1984 | 2007年8月 | BASE I初期のstand-in設計史 | 2026年9月22日 |

